棒球年表

 台湾に野球が伝わったのは1905年後頃。その後、日本統治時代には甲子園にも台湾代表枠があった。リトルリーグは世界でもトップクラスの強豪で、過去17回世界一に上り詰めている。あまりの強さにクレームが出て、'97から'03まで世界大会には出場していなかった。そのほかアマチュアの国際大会では素晴らしい成績を収めている。

 職業棒球(プロ野球)の始まりは1990年から。当時は4球団(チーム変遷参照。)でCPBL(旧CPBL)が発足。その後、1997年、旧CPBLへの参加を断られた声寶グループとTVの放映権争いに敗れた年代グループが共同で別のリーグTMLを発足させた。その時、TMLは旧CPBLから有力な選手を大量に引き抜いた為、それから両リーグは長らく対立することになる。1997年はさらに賭博事件が発覚し、以降、人気はどんどん下降、ついには経営難から解散チームも現れた。野球人気を復活させるべく、2003年、ついに旧CPBLとTMLが合併した。



1895年日清戦争後、下関条約により日本が台湾統治を始める。
1906年台湾で最初のチームが総督府國語学校中学部と同師範部にできる。選手は全員日本人。
1915年日本で夏の全国高校野球選手権大会が豊中球場(甲子園は未出現)で始まる。
1917年早稲田大学が台湾遠征を行う。以後、各大学が遠征をする。
1921年米のチームが初来台。Babe Ruthが来たと言われている。
1923年第9回甲子園大会で台湾の高校が出場可能になり、台北一中(現建國中学)が代表として出場(実際は日本人チーム)。初戦で立命館中学に0-23で敗れる。
1930年第7回センバツ高校野球にも台北一中が初参加。
1931年呉明捷が4番を打った嘉義農林中(漢人、台湾人、日本人混合チーム)が甲子園初出場で準優勝。
1935年呉波(呉昌征)を中心とする嘉義農林中が春夏連続出場。
1941年太平洋戦争はじまる。これにより甲子園大会中断、台湾の参加もなくなる。
1946年台灣電力野球部(台電隊)が創設される。
1948年謝国城、薜永順(P井清)らが合作金庫野球部(合庫隊)を創設。
1954年中華民國代表隊(つまり台湾代表チーム、いわゆる中華隊)が誕生。
1968年読売巨人軍が春季キャンプで来台。
少年野球チーム紅葉少棒隊が前年世界チャンピオンの日本の和歌山チームを破る。
1969年郭源治がエースの金龍少棒隊が世界大会で優勝。少年野球ブーム。
1973年郭源治、陳大豊、呂明賜らを擁する青少棒隊が世界チャンピオンに。
1974年立徳少棒隊、中華青少棒隊、中華青棒隊が各年代の世界大会で優勝し、三冠達成。
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1982年郭源治、中日入団。
1983年ソウルアジア選手権優勝(郭泰源、荘勝雄ら)。
1984年ロス五輪銅メダル(郭泰源ら)。
1985年郭泰源、西武入団。
パースアジア選手権3位。
1987年東京アジア選手権優勝(呂明賜ら)。
1988年ソウル五輪予選リーグ敗退(陳義信ら)。
1990年プロリーグ中華職業棒球聯盟(CPBL)発足=職棒元年。
1991年北京・天津アジア選手権銀メダル
1992年バルセロナ五輪銀メダル(郭李建夫ら)。
1995年岡山アジア選手権銅メダル(許銘傑ら)。
1997年プロリーグ台湾大聯盟(TML)発足。
時報鷹を中心とした野球賭博事件が発覚。
1998年アジア大会銅メダル(郭李建夫ら)。
1999年台湾集集大地震。
三商虎が経営難の為、解散。
12月、4度の優勝を誇る味全龍が解散。
2001年IBAF台湾ワールドカップで銅メダル。
2002年5月、台湾で初の日本プロ野球公式戦。
陳金鋒(LADodgers)が台湾人メジャーリーグ初出場。
2003年中華職業聯盟と台湾大聯盟が合併、「中華職業棒球大聯盟(略称:中華大聯盟=CPBL)」。
曹錦輝(ColoradoRockies)が台湾人投手メジャーリーグ初出場。
札幌アジア選手権銀メダル (張誌家ら)。
2004年アテネ五輪出場、予選リーグ敗退。
2005年第1回アジアシリーズが東京ドームで開催。台湾代表の興農牛が3位に終わる。
2006年王建民(NYYankees)MLBア・リーグ最多勝。
ドーハアジア大会金メダル (郭泓志、姜建銘ら。)
2008年北京五輪出場、予選リーグ敗退 (陳偉殷ら。)
米迪亜オーナーらの賭博行為で米迪亜が解散、経営悪化による中信鯨の解散で2009年からリーグは4球団に縮小。